受験生のための名古屋大学発見サイト

名古屋大学ロゴ

アクセスキャンパスマップNU-Cheersスタッフ募集

Voice

わたしの受験勉強法

稲永くんの受験勉強の方法-倫理(センター試験)について

こんにちは、今回の記事では倫理(センター試験)の受験勉強法について書かせて頂きたいと思います。全体的に「後から考えれば、こうしたら良かったのではないか」といった話が多いので、実証性に乏しいという点は言い訳できないのですが、私のやっていたのと似たような勉強法を採用していて且つ上手くいっていないとか、あるいは後述する「どうもここが分からない」という点に共感できる、という方には、そういう話を参考にして頂ける見込みは大きいと考えます。

「倫理」画像出典"By Mylius - 投稿者自身による作品, GFDL 1.2, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14856016"

画像出典"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%BE%A9"

 

私が実際にやっていた倫理の勉強というのは、ノートをまとめたり問題集(過去問集を含む)を反復して解いたり、どうしても意味がつかみにくい所(専門用語など)を検索してみたり、といった作業でした。これらの具体的な作業自体は、今振り返ってみても、□教材、特に問題集の選択□各作業にかける時間配分、如何ではそれほど非効率的ではないと思っています。しかし私は、下に述べるように倫理(センター試験)の問題の解き方というものをいまいち理解していないため、正解という目的と具体的な作業との繋がりが曖昧なまま、ただ漫然とこれら作業をこなしていたように思います。

 

さて、倫理のセンター試験で大きな割合を占めていたのは正誤判定、つまり短い文に正しいか誤りかを振るという形式のものであったと記憶しています。私が「どうもここが分からない、判然としない」と思っていたのは、まさにこれです。解答解説を読めば、ある短い文が正/誤である根拠は明確に書いてあるし、また「まず①番と④番は明らかに誤りなので消去することができ...」とかいった総合的な"解き方"というのも読めばなるほどと思えます。が、自分がなぜどこで間違えたのかという点がいまいち判然としない、といった消化不良感がありました。この教科は「範囲は比較的少ないが思考力と読解力が必要で単なる暗記では7割までしかいかない。」("http://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%A9%A6%E9%A8%93_%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AF%BE%E7%AD%96")ということが言われますが、まさに、自分が暗記不足で間違えたのかそれとも暗記しかしていなかったために残り3割で力及ばず間違えたのか、といったことが分からなかったわけです。

 

以下基本的には、正文選択形式を念頭に置いて進めます。

 

上のような経験から、どうしたらそれら正誤判定問題を解けるのか(なぜ間違えたのか)と考えていて私が最近思うに至ったのは、「最も適当なものを選べ」という相対的な問題形式が決定的に重要であるという事、それから、次のような原始的な発想から出発するのが良いのではないかという事、です。その原始的な発想というのは「教科書に入っている全ての文の内容を、記憶から教科書の原文を正しいと判定できるくらいに覚え、そこから常識的な言い換え等だけで導かれる文だけを正とする。」というものです。この方法は、第一に「内容を全て覚える」という部分が非現実的ですが、兎も角これについては(i)で詳述します。第二に、仮に実行できても、これでは正とするべき問題文のうちほとんどを誤とすることになり、問題は解けません。これについては(ii)で詳述します。なぜそんな無益そうな発想から始めるのかといえば、このように全ての典拠を教材に求めた場合、つまり仮に教材を丸暗記できていた場合どこまで肯定できたのか、という限界を知り、そこから先が推理・思考・読解などの領域だと知ることで、解答の過程を切り分け自分の間違えた箇所を把握しやすくするためです。

ところで、教材が丸暗記できていれば「明らかに誤った問題文」というのも指摘できるはずですから、教材の丸暗記だけでは解けない」ということは全くないでしょう。しかし、教科の性質上「教材(自分が典拠を求める場所)には載っていないが、正とも誤とも判定できない文」と「明らかに誤った文」とが本質的に大差無いと私は考えるので、そのうちの「明らかに誤った(問題)文」だけを指摘するという技術・作業は既に推理・思考・読解などの領域にある、として区別しているのです。

 

(i)

 

上の「文の内容を、記憶から...くらいに覚え」とかいう物言いが引っかかるところであり「文を覚える」ではダメなのかと問われるかもしれませんが「文の丸暗記ではなく内容を理解しなさい」といったごく一般的な方針から「文を覚える」では不適なことがすぐ同意されることでしょう。しかしこの、"内容を理解"するというのもいささか曖昧な表現ですから、これを次段落のような点を踏まえて私なりに分かりやすく言い換えたのが、上の物言いです。

 

内容を理解していた/していなかったというのは往々にして問題が解けた/解けなかったことをもってそう言われることが多いと思います。であればそもそも、内容を理解しているか否かというのも、問題を解くのに必要な情報がその記憶内容に入っているか否かに、つまり、正と判定すべき文(教科書の原文など)をその覚えている内容から正と判定できるか否かに依存している、というのは自然な考えではないかと思います。たとえば吉田光他『高校倫理』(2013)(※以下「教科書」)の「天台宗の僧源信が『往生要集』をあらわし,当時の貴族社会に大きな影響を与えた。」(p.78、ルビ省略(=以下同じ)。この文を(A)。)という記述を例にとります。私が、少し言い方は違うがこれにほとんど近い(A)'という意味内容を覚えていたら、上の(A)のような問題文を正と判定できるでしょう。またしかし、私が(B) 「源信の書いた『往生要集』に、当時貴族社会は大きく影響された。」という意味内容までしか覚えていない(宗派の情報が抜けている)とすれば、実際試験で求められる(A)のような問題文の正誤判定を解けないことになります。なぜなら源信の宗派しだいで(A)の正誤は変わってくるからです。

「源信」画像出典"By 谷文晁ほか - sw21akira (2007/6/10(日)). 6月10日、【源信忌】. 今日の出来事ロジー. Retrieved on July 2012., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20094526" 

画像出典"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E4%BF%A1_(%E5%83%A7%E4%BE%B6)"

 

(ii)

 

次に、「...常識的な言い換え等だけで導かれる文だけを正とする。」という後半部分に注目します。実際それでは問題に正解できないと書いたのは、「この中に唯一つ十分適当なものがあるのでそれを選べ」という形式を想定したこのような考え方に対し、基本的に試験は「最も適当なものを選べ」という形式になっていることに因ります。つまり、「正を振るべき問題文も、十分に(教科書の内容のみから導かれるほどに)適当とは限らないが、他の問題文に比べればマシ(最も適当)」という相対的な解き方が前提されているために、十分適当な問題文だけに正を振っていたのでは解けないということです。

「十分に適当」「最も適当」

 

たとえば、平成28年度センター試験本試験の「倫理」大問3小問6では「宣長による儒学批判の内容として最も適当なもの」が問われており、ここで正とされる問題文は「嬉しいことを嬉しく思い,悲しいことを悲しく思うのは,事柄に相応して感情が動く人間本来のあり方なのに,儒学の教えが何事にも道理を先立て,妄りに心を動かさないよう説いているのは,うわべを飾る偽りである。」との文です。これを仮に「(1)嬉しいことを嬉しく思い悲しいことを悲しく思うのは、事柄に相応して感情が動くというあり方である。(2)人間本来のあり方とは、事柄に相応して感情が動くというあり方である。(3)儒学の教えは何事にも道理を先立てる。(4)...」と分解したときに、それら全てが真でありさえすれば、文句なしにこの問題文に正を振ることができそうです。

 

まず(2)に関しては、教科書p.95に(V)「人間が[...]『もの』(客観)にふれたときにわきおこる,しみじみとした感情こそが[...]人間性の本質である」とあります。"人間性の本質→人間本来のあり方"や"「もの」にふれたときにわきおこる(感情)→事柄に相応して動く(感情)"という変更を許せば、教科書の記述は、(W)「人間の、事柄に相応して動く、しみじみとした感情こそが、人間本来のあり方である」、ひいては(X)「人間本来のあり方とは、事柄に相応してしみじみとした感情が動くというあり方である」というところまで、無理なく持っていくことが出来ます。このように無理の無い言い変え等だけで教材の記述から導かれる文というのは(2):≒(X)以外の部分にも見つけることができるはずです。

 

またその他に、複数の記述を見れば教科書の文脈上およそ正しいと言えるような部分というのも、問題文の中に見つけることが出来るでしょう。たとえば教科書p.95の「宣長は,[...]真の姿を明らかにしようとした。そのためには,儒学を漢意として排斥し,」という記述を見れば、「"真の姿を明らかに"するために"排斥"されるもの(儒学)は、"うわべを飾る偽り"に類するものに違いない」という理屈で問題文に含まれる「儒学の教え(が...すること)は、うわべを飾る偽りである。」という内容に真を付けることがありえます。

「本居宣長」画像出典"By Motoori Norinaga - http://www.cityu.edu.hk/ccs/Newsletter/newsletter3/HomePage/CulturalDiff/CulturalDiff.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2711824"

 画像出典"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7"

 

しかし困るのは、このように教科書の記述から無理の無い言い変え等だけで導けるような部分(前々段落参照)や教科書の文脈上正しいと見なせるような部分(前段落参照)を拾い尽くしても、おそらくは、なお正しいと言いきれない部分が問題文中に残ってしまうだろうということです。これが、最初から「実際そうだけしていたのでは問題形式に対応できない」としてきた理由です。したがって、そこから先は他の不適当な問題文(選択肢)を消去する等の方法による解き方が、「最も適当」という問題形式では前提されているように思います。このように、全ての典拠を教科書に求めた場合に導ける範囲、そこから先で推理・思考・読解などを要する範囲、というものを自分なりに切り分けていくことが、正誤判定問題を深く理解するうえで重要であると結論します。

 

以上、倫理(センター試験)の問題の解き方について思うところを書かせて頂きました。私と同じようなタイプの消化不良感におちいっている方は、ぜひ一度、上のような考え方の正否を検討してみてはいかがでしょうか。今回も長文乱文に最後までお付き合い頂きありがとうございました。それではまた。