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名古屋大学特別教授  Osamu Shimomura

下村 脩 博士

1928年

京都府福知山市で生まれる

幼少年期を佐世保市、大阪市、諫早市などで過ごす

長崎医科大学附属薬学専門部(現長崎大学薬学部)卒業

1951年 長崎大学薬学部実験実習指導員
1955年 名古屋大学理学部有機化学研究室研究生
1958年

長崎大学薬学部助手

1960年

名古屋大学理学博士

プリンストン大学研究員(フルブライト留学生)

1963年

名古屋大学理学部附属水質科学研究施設助教授

1965~

1982年

プリンストン大学上席研究員

1982年

ボストン大学客員准教授
1984年 ボストン大学客員教授
2000年 ボストン大学名誉教授
2008年 ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員

 

偶然から平田研へ

1955年3月のある日、当時長崎大学の実験実習指導員であった下村博士は恩師の安永峻五教授とともに、分子生物学で有名であった名古屋大学の江上不二夫教授のもとへ内地留学をお願いするために伺いました。しかし、あいにく江上教授は出張中で留守でした。安永教授は、その帰りに平田教授のところに挨拶に寄られ、下村博士も同行しました。江上教授に会えなかった事情を話し、数分間の雑談後、平田教授のお部屋を辞去する際に平田教授が下村博士に言われたのです。

「私のところにいらっしゃい。いつからでもよいです」

私はその時の平田先生の言葉は天の指図かも知れないと思った

下村脩「クラゲに学ぶ」長崎文献社より

3人の恩師

下村博士は後にご自身の歩んで来た道をふりかえり、こう言われています。「私が選んだ道は、自分で探したのではない。私は師により示された道をたどっただけである」。安永教授が名古屋大学の平田研究室に内地留学させて下さり、平田教授にいただいたウミホタルルシフェリンの結晶化のテーマにより、生物発光研究の道に入りました。そしてその結晶化の成功により、プリンストン大学のF.H.ジョンソン教授に招かれ、そこでオワンクラゲの生物発光の研究に出会いました。しかし、この道をたどるのは決して平坦ではなく、下村博士の並ならぬ努力があったのは言うまでもありません。

 

ウミホタル研究との出会い

平田研究室に研究生として加わった下村博士に与えられたテーマは「ウミホタルルシフェリンの構造決定」。これは、プリンストン大学のハーベイ教授の研究室で過去20年間挑戦し続け、未だ成功していなかったテーマです。研究生には、卒業論文や修士論文のように1-2年で答えがだせるようなものではないテーマを、という方針から難しいテーマが与えられていたようです。平田先生から「ルシフェリンの構造決定のために精製して結晶にして下さい」と言われました。当時は結晶化が純度を証明する唯一の方法だったのです。下村博士は、この研究に没頭しました。

不安定なルシフェリン

ルシフェリンは、非常に不安定で酸素があると速やかに分解します。この不安定な物質をいかに大量に得るか。下村博士は特製の抽出装置を考案しました。先行研究が進んでいたプリンストン大でおこなっていた量の10倍の約500gの乾燥ウミホタルを抽出できる装置です。そして、酸素にふれないように水素ガスのもとで抽出実験を行いました。当時、窒素やアルゴンは純度が低く、そこから酸素を除くのは困難でしたが、水素の場合にはそれが容易であり、危険ではあったのですが用いることにしたのです。

 

ルシフェリンの結晶化

これらの工夫によりルシフェリンの精製は順調に進みました。しかし、結晶化は難しく、失敗の連続でした。そして、10ヶ月後の1956年2月の寒い日、ついに偶然からルシフェリンの結晶を手にすることができたのです。成分分析の目的で塩酸を加えて帰宅し、翌朝来てみると、試験管の底に微量の赤色針状結晶が出来ていたのです。この幸運により、ルシフェリンの構造と発光のしくみを決定することができました。生物発光研究の一里塚となったこの成果は国内外で話題となりました。そして、1960年、「海ホタルルシフェリンの構造」という題目で名古屋大学で博士号を取得しました。

 

 

 

フライデーハーバー

下村博士は、プリンストン大のジョンソン博士から誘いを受け、博士研究員として渡米しました。博士とオワンクラゲとの日々は、1961年の夏、アメリカ西海岸にあるワシントン州のフライデーハーバー研究所で始まりました。

 

最初、オワンクラゲの発光も他の多くの発光生物のしくみと同じで、ルシフェラーゼとルシフェリンが関与しており、それらを別々に取り出そうとしました。しかし、どうしても上手くいきません。下村博士は考え方を変えて、どんな物質でもよりから発光する物質を取り出すという方針を提案します。しかし、ジョンソン博士は納得せず、しばらく実験台の一方ではジョンソン博士達が実験し、その傍らで下村博士がひとり別の実験を進める、という状況になりました。

 

ひらめいたアイデア

下村博士は連日連夜、どうしたら発光物質がとれるのかを考え続けました。ある日の午後、ボートの上でうつらうつらして考えている時、突然ひとつの案がひらめきました。

 

「発光反応はたぶんタンパク質と密接な関係がある。であれば、酸性(pH)が強い影響を与えるはずだ」

下村博士はすぐに実験室に戻り、いろいろなpHの溶液をつくってクラゲのリングを抽出してみました。pH4の抽出液をろ過して細胞を除いた液は光らないが、それを中和してpH7にしたら光が回復することを見つけました。これは、クラゲの発酵物質はpH4で抽出できることを意味します。

 

下村博士は、こうしてオワンクラゲの発光物質を得るきっかけをつかみました。約1万匹のクラゲを採集し、そこから得た粗い発光生成物を約6ヶ月かけて精製を重ね、ほぼ純粋な発光物質を約5mg得ることに成功しました。これがイクオリンより早めに溶出する緑色の蛍光を発するタンパク質も同時に精製することができました。これが、後に分子生物学研究に革命を与えたGFPです。

 

下村博士は、約85万匹ものオワンクラゲを採集しました。それだけ大量に必要であったのは、それらの発光物質は一匹のクラゲからはごく微量しか得られないからです。この膨大な努力があったからこそ、現在の発展につながっているのです。最近ではオワンクラゲの数が激減しています。研究の開始が20年遅れていたら、この結果は無かったはずで、この研究ができたのはまさに「天の恵み」であったと下村博士は述懐されています。

「私は過去に非常に大きな嬉しさを感じたことが2回ある。1956年にウミホタルのルシフェリンの結晶化に成功したときと、1961年にオワンクラゲからイクオリンの抽出法を発見したときである。この2回の嬉しさはずば抜けて大きかった。私は科学者の仲間入りをし、そして科学者としてやっていく自信を得たのである。私は心底から嬉しかった。」

 

 

下村脩「クラゲに学ぶ」長崎文献社より

 

下村博士からのメッセージ 

未知の生物発光の仕組みを研究することは、決まりきった作業の繰り返しではすまない。さまざまな困難や問題にぶつかるものであり、前に進むためにはそれらを一つひとつ解決しなければならない。簡単に解決するものもあれば、何週間、何ヶ月もかかるものもある。でも、どんな困難な問題でも、あきらめなければいつかは必ず克服できる。そして、あきらめずに解決できれば、それは自信につながり、次の問題を解決する力につながる。だから大切なのは、最初に出会った難問を解決することだ。もし一度あきらめてしまえば、たぶん次にもあきらめてしまうことになる。

下村脩「Bioluminescence : Chemical Principles and Methods」